ecojin interview
いつの間にか 福島との関わりが
僕のライフワークになった。
カンニング竹山|CUNNING TAKEYAMA
東日本大震災をきっかけに
福島とのつながりが生まれた蕓人のカンニング竹山さん。
福島の良さを伝えるべく発信を続けて11年、
いま思う「その先の福島」とは。
福島は大きな災害から、まちと人が
どう立ち直ってきたのかを知る教訓であり教材だと思う。
福岡県出身のカンニング竹山さん。もともと福島県とは縁もゆかりもなかったそうですが、2011年に発生した東日本大震災をきっかけに福島と関わるようになり、そのつながりは11年を過ぎた今も続いています。
「震災から3カ月がたった頃、福島からラジオ番組の生放送をすることになって現地に入りました。ラジオ福島の人たちに、まちを案內してもらったんですけど、まだ震災の爪あとが生々しい狀況で、『一體誰がこんなことをしたんだ!』という怒りの気持ちと、なぜか悔しい気持ちが湧き上がってきました。今思うと危険な感情なのかもしれないけど、何かと戦わなきゃ、という気分でした。そのくらい、気持ちが揺さぶられたんです」と竹山さんは當時を振り返ります。
震災後、多くのタレントや著名人が炊き出しやチャリティなどによる復興支援に乗り出しましたが、竹山さんはしばらく「何かやらなきゃという気持ちだけはあるんだけど、何をしたらいいのかわからない」狀態だったと言います。やがて思いついたのが、「復興支援だ、ボランティアだと決めず、ただ福島に遊びに行く、観光をしに行くこと」でした。
「その時の自分のキャリアでできることは何かを考えたんですよ。幸い名前と顔が知られた職業だし、ロケ番組をたくさんやってきた経験から知らない人とでも普通にしゃべれる強味もある?!亥幞椁韦胜ぅ恁狈M』を自分でやるつもりで、顔をさらしてただ、まちをブラブラしながら出會った人たちと話したりお酒を飲んでみよう、と。それをSNSで発信していったら、楽しそうだから自分も行ってみようかなと思う人がいるかもしれない。まず、福島の良さを伝えることが大切じゃないかと思ったんです」
手探りで福島との関わりを深めていった竹山さんですが、いまだに福島発の情報が広く正しく伝わっていないのでは、と危懼しています?!隔~や野菜、米などの生産物についても、すべて放射線量を検査して出荷しているから、むしろ日本一安全なものだと思うけど、それすら正しく伝わっていない。発信はしているんだけど、もう少しうまく伝えることができないものか、とも思いますね」
こうした思いもあり、竹山さんは環境省が2021年から開催している「『福島、その先の環境へ?!粚澰挜榨┅`ラム」にこれまで2回參加しています。フォーラムは、福島県內の除染で発生した除去土壌の再生利用や県外での最終処分に向けて理解を深めてもらうことを目的にこれまで4回開催。全國の人たちとの「対話」を通して、これからの福島について共に考えてもらう場になっています。
「除染作業で出た土イコール危険なものというイメージがあるのは仕方のないことですが、それを科學的に処理をして安全な狀態にした上で、ゆくゆくは県外での最終処分を目指しているわけですけど、そうしたプロセスについてもまだまだ知らない人が多い。賛成か反対かの前に、どういうものなのかをまず知ることが重要。県外での最終処分も含めて、これは福島だけの問題じゃなくて、日本全體で考えなきゃいけない問題なんです?!鹤苑证搐取护趣筏谱饯à皮猡椁Δ郡幛摔?、対話が大事なんですよね」
福島との関わりも11年が過ぎ、現地の友人もできたことでつながりは一層強くなっている竹山さんですが、「その先の福島」を見據えて、考えていることがあると言います。
「これまで通り、僕個人で観光には行くと思いますけど、観光と社會見學を兼ねたツアーみたいものができないかな、と思っているんです。原子力発電所周辺や東日本大震災?原子力災害伝承館を見て、夜は溫泉に入っておいしいものを食べて、地元の農家で農作業體験をしたりお店の人たちと觸れ合って帰ってくる。要するに僕がずっとやってきたようなことをパッケージにしたツアーができたらいいんじゃないか、と。福島は、エネルギー問題や防災の観點から、小中學校の課外授業にも最適な場所。親御さんによって考え方も違うから実現は難しいかもしれないけど、大きな災害から、まちと人がどう立ち直ってきたのかを知る教訓であり貴重な教材だと思います。
もう一つは、福島にゲストハウスをつくって、僕がいない時は人に貸し出して、地元の人たちと交流する拠點にしてもらう。全く未知數ですけど、そんな形で地元の人たちが経済的にも潤うような仕掛けができたらいいですよね。
いつの間にか、福島との関わりは僕のライフワークになっています。まだまだ、やれることはあるんじゃないかな」